俳句と川柳、

俳句と川柳について書いてみます。
どちらも五七五の韻を踏んでいますし、
はっきりとした区別は意外と難しいのかも知れません。

季語があるのが俳句、と言う人もいますけど、
実際には季語のない俳句もありますし、
そういったものは雑の句(ぞうのく)と呼ばれています。
松尾芭蕉の「奥の細道」にもこんな無季の句が、

  語られぬ湯殿にぬらす袂かな

また、季語に相当する言葉の入っている川柳もあり、
季語の有無のみを俳句と川柳の区分けにするのは無理がありそうです。
以前読んだ「他流試合 兜太・せいこうの新俳句鑑賞」という本に
そのことについての話題があり、
季語よりむしろ「切れ」の有無が俳句と川柳の違いになりそうだ、
ということが書かれていました。
俳句では「切れ」が大事なポイントになります。

たとえば「や」「哉」のようにはっきりとした「切れ字」もありますが、
体言止めの「切れ」などもあって、これは句読点を打ってみると判りやすい。
自分の句を例に挙げると、

  春風や。自転車漕いで、会いにゆく。

  句をひとつ、空に詠みたし。古都の春。

  街角で、春がワルツを、踊ってる。
  
この場合の句点「。」が「切れ」です。
基本的に川柳は「切れ」を条件としていません。
けど最近では「切れ」の曖昧な俳句も一般化してきています。
こうなると「切れ」の有無を俳句と川柳の明確な違いとするのも、
またちょっと無理がありそうです。困ったな。

出典は忘れたのですが以前読んだ本に、

 俳句とは「感じさせるもの」で、川柳は「頷かせるもの」。

これは判る気がします。どうもこの辺が勘所みたい。
異論はあるかも知れませんが、
季語や切れに重きを置きながら詩的要素の強いものが俳句、
風刺やユーモア性を主体にしたものが川柳、という捉え方もひとつの目安になりそう。

こういったことを踏まえてみると、
目の前にある五七五が俳句なのか川柳なのか判り易い気がします。
もちろん俳句と川柳のどちらが上で下でと言うつもりはありません。
両者の境界領域にあるものや、それに近い俳句や川柳もあると思います。
まだ結論まで至っていませんが、いまのところ自分ではこんなふうに考えています。

俳句は決して堅苦しいものではなく、自由に詠んでいいと思います。
このエントリーを読んで下さった方がいたら、
感想やご意見を頂けると参考になります。

   春の夜やあまたの季語を数えつつ


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by yuhki_ex10 | 2009-04-08 23:01


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